歴史を伝える国内公立図書館唯一の移民専門資料室
和歌山市民図書館・移民資料室の特徴
和歌山市民図書館移民資料室では、海外へ移住した日本人に関する資料を収集・整理し、国内外から調査・研究等にご利用いただいております。
移民資料室設置の目的
- 海外へ移住した日本人に関する資料を主に収集・保存し、日本人移民の歴史を後世に伝えていく。
- 和歌山県は国内有数の移民送出県であり、「移民」を郷土の重要な歴史として位置付けていく。
- 在留外国人が増えている近年、日本人移民の歴史を伝えることにより、特に若い人たちに国際理解を深めてもらう。
- 日本人移民の動向は近代日本史の大きな史実であるが、学校の教科書に取り上げられることは少なく、資料を使って学校の児童・生徒に日本人移民の歴史を伝えていく。
- 歴史的に日本人移民は海外では少数派(マイノリティ)となって差別や迫害に苛まれていたことに鑑み、移民資料を人権と平和を訴える資料と位置付けていく。
ご利用について
移民資料室はどなたでもご利用いただけます。 資料の貸出は行っておりません。(一部の資料を除き、複写は可能です) 調査・研究のサポートを行っておりますので、お気軽にスタッフにお尋ねください。
資料について
所蔵資料は移民に関する図書、雑誌、海外で発行された邦字新聞、マイクロ資料、新聞クリッピングなどです。なお、国内発行新聞のマイクロフィルムも、移民資料室内でご利用いただけます。
移民の歴史
慶応2(1866)年、第1号パスポートが、江戸幕府から曲芸師 隅田川浪五郎に発せられ、民間の海外渡航が可能となりました。パスポートは「御免之印章」などと呼ばれ、写真の代わりに人相の特徴などが記されていました。隅田川浪五郎は渡米後パリ万博に出演してヨーロッパ中を巡業し、人気を得たそうです。明治元(1868)年にはグアム、ハワイへ集団移民が行われ、フィリピンをはじめ東南アジア方面への進出がつづきました。カナダや米国へ移住した日本人は現地で排斥運動に遭い、日本からの移民人数は制限されていきます。明治41 (1908)年、南米ブラジルへの集団移民が始まり、昭和初期にはブラジル移民が国策となって約10万人が移住しました。太平洋戦争が始まると日系人は敵性外国人と見なされ、米国やカナダでは強制立退命令を受け、その多くは強制収容所に抑留されました。戦前、移民の多くは出稼ぎを目的としていましたが、しだいに日本人は移住先に定着し、国や地域の発展に寄与するようになっていきました。ブラジルでは「ジャポネス ガランチード/日本人は信用できる」と言って、日系人は国民から厚い信用を獲得しています。
和歌山県の移民
昭和32(1957)年までに和歌山県から海外に移住した人数は、同年に和歌山県が発行した『和歌山県移民史』によると、約2万2000人にのぼります。明治5(1872)年には池田村(現在の紀の川市)の伊達多仲(だてたちゅう)が米国に渡航し、那賀地方を中心に米国へ渡航する人が増えていきました。和歌山市からは、西亀之助が明治21(1888)年に渡米し、これに続いたのが、晩年に大和コロニー建設に参画した皆部梅太郎でした。カナダ移民は日高郡美浜町三尾の工野儀兵衛によって始められました。紀南からはオーストラリア移民が多く、現地では和歌山県出身者が過半数を占めていたと言われています。串本周辺からは中筋五郎吉らがハワイへ移住し漁業で成功しています。東牟婁郡太地町からは米国西海岸のターミナル島への移住がすすみました。このほか、和歌山県からの移民はメキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイなどの中南米をはじめ、東南アジア、ニューカレドニア、満州など世界各地広範囲に及びます。また、移住先では指導者となる先人が多く輩出されています。
関連リンク
移民に関連する国内外の団体、施設、サイトのリンク集です。