和歌山県移民年表
西暦 | 和暦 | 記事 |
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1841 年 | 天保 12 年 | 周参見浦船頭井上善助、永寿丸で漂流 4ヶ月の後、アメリカ船に助けられハワイへ着。後にカリフォルニア沿岸を経て換門、台湾を廻り 1845 年帰国 |
1850 年 | 嘉永 3 年 | 10 月天寿丸で虎吉ほか 13 名、江戸から日高郡への帰途、遠州沖で遭難、アメリカ捕鯨船に救助され、カムチャッカ、アラスカ生活をして、ハワイ、香港、上海を経て 1852 年 6 月帰国。 |
1863 年 | 文久 3 年 | 東牟婁郡下里村出身佐藤冶右衛門遭難。米船に救われ、サンフランシスコ上陸。 |
1872 年 | 明治 5 年 | 那賀郡池田村出身伊達多仲渡米。米国の大学に入り、牧師となって帰郷。村内で渡米熱高まる。 |
1875 年 | 明治 8 年 | 和歌山市出身の中山奇琉、木曜島へ渡航。 |
1877 年 | 明治 10 年 | J.B.ヘール 師来日。1893年和歌山に移る。宣教を通じて、和歌山県民にアメリカ文化を紹介。堂本兄弟に影響を与える。 |
1878 年 | 明治 11 年 | 長崎県出身長野万蔵と紀州定が カナダ で鮭 ギルネット 漁(刺し網漁)開始。 |
1880 年 | 明治 13 年 | 本多和一郎、那賀郡池田村に「共修学舎」を開設し、渡米相談所を設置。 |
1884 年 | 明治 17 年 | 那賀郡池田村堂本誉之進、兼太郎兄弟渡米。北米移民会社を設立し、貿易事業も営む。 |
1886 年 | 明治 19 年 | 東牟婁郡下里町出身山口熊野渡米。邦字新聞 「新日本」 を発行して本国へ送り、移民事業に尽くす。 |
1888 年 | 明治 21 年 | 日高郡三尾村出身工野儀兵衛、カナダ へ渡航。 和歌山市出身相川直之助渡米。サンフランシスコ で東洋物産商会を創立。 陸奥宗光(伊達宗広の第6子)、駐米特命全権公使となる。1890年に和歌山県選出の初の代議士、1892年外務大臣となり移民に力を尽す。 |
1890 年 | 明治 23 年 | 那賀郡竜門村出身湯浅銀之助渡米。後に雑誌 「新日本」 を創刊し、新聞 「羅府日米」 の支配人として活躍。 吉沢安吉ほか3名,カナダ 北方漁場を開拓。 花園業の元祖、那賀郡池田村出身堂本兄弟(憲太郎、友之進、光之進)は、オークランド で 2エーカー の土地を購入。 |
1891 年 | 明治 24 年 | 西牟婁郡和深村出身坂本音松、西オーストラリア へ移り、海峡植民地で ゴム 園を経営。 |
1892 年 | 明治 25 年 | 日高郡比井崎村出身森呈之助、カナダ で初めて塩鮭を製造。後に塩鰊も製造。 海草郡野崎村出身皆部梅太郎 16 才で渡米。 東牟婁郡出身橋本大五郎渡米。 前年より アメリカ 鉄道工事さかんで,伊都郡片浦芳松は人夫請負の巨頭となり,多数の県人を渡米させる。その後東牟婁郡橋本大五郎,海草郡皆部梅太郎も同様に活躍。 |
1893 年 | 明治 26 年 | 佐藤虎次郎,オーストラリア へ渡り,木曜島の キング と呼ばれる。 |
南繁蔵,山本卯之助等木挽食10名,ジャバ の ポリテニオー へ渡り,樟林伐採に従事。 | ||
1894 年 | 明治 27 年 | 西牟婁郡潮岬村で オーストラリア 渡航者,100名以上に増加。 |
1895 年 | 明治 28 年 | 那賀郡池田村出身堂本誉之進,サンフランシスコ に堂本兄弟商会を設立。 |
1897 年 | 明治 30 年 | 在米県人団体として オークランド に紀友会設立。後に郷友会,紀友会,県人会と発展。 |
1898 年 | 明治 31 年 | オーストラリア 政府,日本人の採貝について新規営業禁止 |
1899 年 | 明治 32 年 | 西牟婁郡田並村出身中筋五郎吉,ハワイ へ渡航。ハワイ 漁場開拓のはじめ。 |
1900 年 | 明治 33 年 | カナダ 三尾村民会,ステブストン に設立。会員約150名。 |
1905 年 | 明治 38 年 | 西牟婁郡江住村出身南弥右衛門,26才で ハワイ へ渡航。その後北米に移り,農業,貿易で成功。 |
1906 年 | 明治 39 年 | 和歌山県人会の前身,ロサンゼルス に創立。会長湯浅銀之助。 日高郡湯川村出身花月栄吉,カナダ へ渡航。後に カナダ 林業王と呼ばれる。 海草郡野崎村出身皆部梅太郎,新潟県出身安孫子久太郎らと共に勧業社を組織して日米殖産会社を起こし,大和植民地開拓に着手。 那賀郡竜門村出身西九一郎渡米。後に南加切花商組合長として活躍。 |
1907 年 | 明治 40 年 | カナダ 紀伊同志会設立。 和田勇,ワシントン 州に生まれる。後に郷里日高郡名田村で小学校教育を受け,アメリカに戻る。 西牟婁郡田並村出身 ドマス・K・タケシタ(竹下幸八郎),メキシコ 経由で アメリカ へ渡航。 |
1908 年 | 明治 41 年 | ペルー への森岡移民団で和歌山県より 100 名渡航 |
1911 年 | 明治 44 年 | 南加和歌山県人会組織。会長湯浅銀之助。本部ロサンゼルス |
1912 年 | 大正 14 年 | 南加 ガダループ 和歌山県人会発会。 加州花卉市場株式会社設立。社長堂本元之進。 日高郡柏木坦,東牟婁郡尾田八百蔵らにより木曜島日本人会が創立され,その後各郷土別による会も結成される。 |
1914 年 | 大正 3 年 | 木曜島に宇久井,周参見出身者で宇参見共同高瀬貝採取会社設立。 |
1918 年 | 大正 7 年 | 日高郡岩代村出身松原安太郎,ブラジル へ渡航。後に松原案により日本移民を呼び寄せる功績あり。 |
1919 年 | 大正 8 年 | 和歌山県海外協会設立。初代理事長木本主一郎。 和歌山市出身 ヘンリー・謙・杉本 渡米。後に画家となり,収容所絵画等を描く。 |
1925 年 | 大正 14 年 | ハワイ 和歌山県人会創立。会長三田村為太郎。 |
1933 年 | 昭和 8 年 | 和歌山市出身古川直次郎,ブラジル に渡航。後に ジャタイ 郡で二宮尊徳翁報公会を建設し社会事業に尽す。 |
1934 年 | 昭和 9 年 | 和歌山県移民奨励規定成立。 |
1938 年 | 昭和 13 年 | 和歌山県第 1 次満州開拓青少年義勇隊入植。 |
1939 年 | 昭和 14 年 | 和歌山県満州勤労奉仕隊出発。 |
1940 年 | 昭和 15 年 | 大島村出身吉田善七郎ら満州へ入植し,紀州村を建設。 |
1947 年 | 昭和 22 年 | 西牟婁郡周参見町出身東一三,ブラジル・ローランジャ 市会議員に当選する。 トマス・K・カケシタ,JACLのスタッフとなる |
1948 年 | 昭和 23 年 | シアトル 高野山仏教会創立。 |
1949 年 | 昭和 24 年 | 日米戦争前一時中絶した ハワイ 和歌山県人会再組織。会長滝本邦三郎。 和歌山県日米倶楽部発会。理事長井谷真基。 |
1952 年 | 昭和 27 年 | 和歌山県海外協会発会。会長に小野真次知事を推薦。(7月) オレゴン 高野山親王院創立。 |
1953 年 | 昭和 28 年 | 和歌山県に移民課新設。(3月) 戦後初の採貝船団,串本港より オーストラリア へ出発。(5月) 戦後第1回和歌山県 ブラジル 移民 17 家族 54 名渡航。 松原案により 10 年間で約 4,000 家族がブラジルへ移住決まる。 |
1954 年 | 昭和 29 年 | 在伯和歌山県人会創立。会長竹中儀助。本部 サンパウロ。 |
1957 年 | 昭和 32 年 | 和歌山県と県出身有志で ブラジル 移住促進のための移住者の受入れ機関「和歌山不動産会社」を設立。現地に和歌山村を建設へ。(7月) |
1958 年 | 昭和 33 年 | ブラジル「和歌山村」へ 145 名が初めて移住。コーヒーを栽培。(8月) 和歌山県移民課,月刊誌「移住わか山」を創刊。(10月) |
1962 年 | 昭和 37 年 | オーストラリアへの採貝船団の出漁中止決定。(1月) |